現在の兵庫県神戸市に日本で2番目のゴルフ場(横屋ゴルフ・アソシエーション)が英国人のウィリアム・ジョン・ロビンソンによって創設されたのが1904年(明治37年)。当時ウィリアムの専属キャディーとしてゴルフを勉強する機会を得た福井覚治が、1920年(大正9年)に日本で初めてのプロゴルファーになりました。その功績を称えるために、「日本プロゴルフ殿堂」が日本プロゴルフ協会、日本女子プロゴルフ協会、日本ゴルフツアー機構の3団体によって2010年に誕生しました。ここでは、プロゴルフ殿堂入りしたゴルフ選手を含め、歴史に残るゴルフ選手をご紹介します。
ゴルフのイメージを変えた男
現在の日本ゴルフ人口は1000万人を超えており、プロゴルファーは男女合計で6000人以上にのぼります。日本でのゴルフ人気に最も貢献したであろう青木功選手は、日米欧豪の世界4ツアーを制した世界に誇るプロゴルファーです。国内では通算56勝をあげ、賞金王には5回輝きました。1983年にはハワイアンオープンで日本男子初の米ツアー優勝を果たし、その長身から「コンコルド青木」とあだ名が付けられたほどです。50歳になった1992年から米シニアツアーに参戦し、計9勝をあげています。
日本人女性ゴルファーとして初の米賞金王
1951年(昭和26年)生まれの岡本綾子選手は、ソフトボールで国体を制したあとに、1974年にゴルフプロテストに合格するという異例の経歴の持ち主です。翌1975年には初優勝を遂げ、1981年には通算8勝して賞金王女にまでなりました。その勢いは止まらず、1982年から米女子ツアーに本格参戦し、アリゾナコパークラシックで日本人女性ゴルファーとして2人目の優勝に輝きました。1987年には米女子ツアーで4勝し、米国人以外では初の賞金王女になりました。男性ゴルファーも驚くほどの飛距離を出す岡本選手のスイングは、なんとあのイチロー選手のバッティングの参考にされたともいわれています。
至上最年少でマスターズ初優勝
カリフォルニア州出身のエルドリック・タイガー・ウッズ選手は、フォーブス紙に「アメリカ史上最も成功した現役で活躍するスポーツ選手」としてランキング入りしたゴルフ界のサラブレットです。スクラッチプレーヤーでもあった父親の影響もあり、生後9か月からゴルフを習い始めます。1995年にマスターズ・トーナメントに初出場すると、翌1996年には大学を中退して本格的にプロゴルファーの道に進み、世界ランキング33位でプロキャリアをスタートさせます。1997年には至上最年少でマスターズを優勝し、その他6大会を続けて優勝して世界ランキング1位に輝きます。アフリカ系アメリカ人として初めて、2000年から2001年までメジャー大会を4連覇し、世界的に注目を集めました。生涯獲得賞金額1億ドルを突破し、現在も歴代1位の賞金王として君臨しています。